伊福部昭:二十絃箏と管絃楽のための「交響的エグログ」(1982)。私のすごく好きな曲。
1年以上ぶりの更新。しかし、この間もクラシック音楽好きなりの活動は継続していて、今夏はザルツブルク音楽祭にも行ってきた。これはこれでまた別の記事にまとめたい。
2019年5月5日、ラ・フォル・ジュルネTOKYO、最近は伊福部昭、貴志康一、矢代秋雄のような日本人作曲家が安価で聴ける貴重な機会になっている。
さて今年は、愛する「交響的エグログ」が井上道義の指揮で採り上げられたのでもちろんのこと聴きに行った。二代目野坂操壽の演奏を楽しみに…
…しかし当の演奏会はご病気で降板され、8月27日になくなった。
実は複数ある「交響的エグログ」のCDは、おそらくすべて二代目野坂操壽の演奏と思われ、この人の箏で聴くものが当たり前だった。その印象は、和洋折衷、土俗の響き、しかし可憐。さすがこの曲の初演者、というか制作そのものの理由となった人物は、やはり完全にこの不思議な曲を消化していた。
5月5日のラ・フォル・ジュルネに登場した滝田美智子さんは、二代目野坂操壽のお弟子さんとのことで、全力の演奏を聴かせてくれた。同時に明らかになったのはこの曲の難しさ。
CDで聴いていてなんとなく感じてはいたものの、やはりこの曲の根本は壮絶な超絶技巧。もはや二代目野坂操壽本人以外に再現不可能なのではないかとまで感じさせられた。滝田さんの演奏も井上&新日フィルの熱い演奏に応えて伊福部昭の妙味がよく出ていたものの、一見相反するようでどういうわけか調和してしまう、箏の伝える清涼感、可憐さは超絶技巧あってのものであるとわかった。
その二代目野坂操壽も逝ってしまった。結局実演で接することができなかった。「操壽」の名前を継ぐ人が、新しく素敵な「交響的エグログ」を聴かせてほしい。