2018/05/05 LFJ:伊福部昭&貴志康一

M342

山根一仁 (ヴァイオリン)

新日本フィルハーモニー交響楽団 (オーケストラ)

井上道義 (指揮者)

伊福部昭:日本狂詩曲

伊福部昭:ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲

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M345

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 (オーケストラ)

本名徹次 (指揮者)

貴志康一:交響曲「仏陀」(楽譜提供 学校法人甲南学園 貴志康一記念室)

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ラ・フォル・ジュルネは以上の2公演に参戦。私の大好きな曲が固まってしまった。

まず伊福部は、順序変わって協奏風狂詩曲から。力強いバイオリンの時たまひっかくような迫力ある音が興奮させてくれる。そこにゴジラの一節が来てしまえば少し笑いそうになりつつもすごくテンションがあがる。パワフルなヴァイオリンも良い。ストラディバリウスを頂点とする美音もよいけど、こんな土臭いヴァイオリンも素敵。

わざわざ後半に持ってきた日本狂詩曲には大いに期待していた。これをおはことする井上道義の手になれば、それはきっと重戦車のような演奏になるだろうと。きっと、格別の気合が入ってこその順序変更であろうと…。

しかし、順序変更の理由は違った。

マエストロいわく「2曲『祭り』には仕掛けが」。ようは、ラデツキー行進曲状態、あるいはドゥダメル状態。踊りまくるマエストロ、立ち上がるオケ、マエストロに誘われて立ち上がる聴衆、本当に踊っている人もいた。沸き起こる手拍子。マエストロついに膝をついて床を和太鼓のごとく手で連打し、最後には譜面台を持ち上げてエンヤコラ。力強い連打で苛烈に締まると同時に熱狂するホール。なるほど『祭り』にふさわしく、POWER OF MUSICここにありという感じであった。この仕掛のための順序変更。

が、言わなくても分かる通り、私は普通に座って聴いていたかった。演奏は四方八方から響き渡る手拍子にかき消されてしまったし、演奏もどうもその場しのぎ的なBGMに下ってしまった気がして、はっきり言ってひじょうに不満足。たしかに大ウケだったから、まさに「お祭り」であるLFJにはあってるかもしれない。が、「井上道義×伊福部昭」という文字の表現力、そこに読みこめる期待の大きさを侮っちゃいけない。

続いての貴志康一の『仏陀』はまさか東京で実演で聴ける日がくるとは思わなんだ、という感じ。伊福部昭に比べるとビックリする空席率ではあったが、そのぶんちょっと優越感感じながら聴く絶美の名曲。みんなもったいない。

想像以上の規模感と彫りの深さ。CDでは感じ得なかった大交響曲の貫禄がそこにはあって思わず唖然。なんというか聴くシルクロード、東洋西洋のハイブリッド。

1楽章の昭和歌謡のようなメロディもまさかあんなにスケールの大きいものだったとは。2楽章がこんなにも美しいとは。3楽章はやっぱり魔法使いの弟子だったし、4楽章はちょっと神経質そうな独特の緊張感をはらんだ細い線。で、どのへんが仏陀だったのかは正直わからなかったけど、それよりも音の美しさに関心がいってしまう。伊福部昭のギャップもすごいけど、比較不能な美しさが備わっていた。なんだろう、日本画で言えば菱田春草的なものを感じる。

この曲は、ぜひ、硬さや鋭さを持ったオケで聴いてみたく思う。2楽章や4楽章の美の極致みたいな響きは、もっともっと磨けるのではないか。ていうかそもそも別のホールでやろう。



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